キャバクラ嬢という職業が一般的になった現代ですが、キャバクラの歴史はどのようなものなのでしょうか。
キャバクラの歴史を簡単に学びましょう。
キャバ嬢が一般的になった現代
今、私の手元にはあるアンケートがあります。
2008年のアンケートで、15~22歳の女性を対象として、なりたい職業を聞いたアンケートです。
女性が憧れる色々な職業がランクインする中で、なんと9位には「キャバクラ嬢」がランクイン。
このことは大きなニュースとなりました。
もちろん、キャバ嬢を一生の仕事にしたいという意味ではなく、一度キャバクラで働いてみたいという女性が多くいるという事です。
キャバクラとは、綺麗な女性がドレスを着て髪をセットしてめかしこみ、男性客にお酒を提供して会話することで楽しむ場所です。
基本的な部分を見れば、会話をしているだけであるにも気亜変わらず、市場規模は約1兆円にも上ります。
このように大きな市場規模を誇るキャバクラですが、キャバクラで働く女性のことをキャバ嬢と呼ぶようになったのはごく最近で、2000年代以降のことです。
このころから、キャバクラをメディアが取り上げることも多くなってきました。
このことは、出版業界をみると最もよくわかります。
キャバ嬢を読者モデルとした雑誌「小悪魔Ageha」は2006年に創刊された月刊誌で、出版不況と言われる現代において、何と発行部数が30万部にも達しています。
読者はキャバ嬢だけではなく、キャバ嬢に憧れる女性たちも含まれます。
この現象は出版業界だけではなく諸方面で現れており、この雑誌に掲載された服でモデルが来ていた服がすぐに売り切れたり、紹介された化粧品がバカ売れしたり。
元キャバ嬢のタレントが経歴を堂々と公開しながらタレント活動をしたり、ワイドショーのコメンテーターをしたり、本を出版したりすることもあります。
この様に、時代はキャバ嬢を受け入れつつあり、彼女たちに共感する若い世代が非常に多くなっているのです。
キャバクラの歴史
キャバクラが登場したのは、1980年代初頭のことです。
しかし、キャバクラのルーツはそれ以上に古く、明治時代には原型となるものがあったとされています。
それは、1911年に銀座でオープンしたカフェであり、そこでは女給仕が今でいうキャバ嬢のような存在として働いており、客に飲み物や食べ物を運んでいました。
これがキャバクラの元祖と言われています。
大正時代には、カフェで提供するものがコーヒーからお酒に変わり、お酒を出すお店では女給仕が客と会話を楽しむ形になりました。
最も、当時のカフェにはコーヒーを出すお店、バーのようなお店、レストランのようなお店など色々なお店がありました。
そんな中で、一部のカフェでエロを含むサービスが提供されるようになり、人気を集めました。
そして、1930年に大型のカフェがキャバレーを名乗り始めました。
戦時中はぜいたくとして弾圧されましたが、敗戦後はアメリカ軍が進駐したことによって、この文化が加速しました。
1950年ごろになると企業が接待のためにキャバレーを使う様になり、このころから銀座や赤坂で高級クラブが次々にオープンしました。
60年代は高度経済成長によって社会が豊かになったことで、歓楽街が栄えました。
そして1983年、キャバクラの原型と言われるキャンパスパブが誕生しました。
時代は素人ブーム・女子大生ブームの真っ盛りでしたから、それに分譲する形で多くの店がオープンしました。
1984年には本格的なキャバクラが歌舞伎町にオープンしました。
これが、簡単なキャバクラの歴史です。
キャバクラは、法律上では風俗営業1~2号に分類され、客の接待をし、客に飲食させるお店と定められています。
簡単に言うならば、キャバクラは女性が男性客の隣に座って会話をするだけのことであり、それでお金が発生する産業のことです。
性的サービスを与えることはないため、同じ風俗店でもヘルスやソープとは明らかに異なる業態です。