『小悪魔ageha』は2005年10月に誕生して以来、キャバクラ嬢やホステスを中心に大きな人気となりました。
初代編集長である中條寿子が退任したことで休刊となりましたが、2015年の4月18日に隔月刊誌として復刊しました。
小悪魔agehaの歴史
キャバクラやクラブなど夜の仕事をする女性にとってバイブル的存在となっている『小悪魔ageha』。
創刊以来多くの女性から支持されているファッション雑誌です。
非常に大きな影響力を持っている雑誌ですが、その歴史はどういったものなのでしょうか。
その歴史が始まったのは2005年の10月のことで、『Happie nuts〔ハピーナッツ〕』の特別号として『小悪魔&ナッツ』という名前で創刊されました。
後に『小悪魔ageha』へと雑誌名が変更され、2006年の10月から月刊誌となりました。
10代から20代までの“姉ギャル”や“姫ギャル”と呼ばれる女性をターゲットにしており、特にキャバクラ嬢やホステスを中心に大きな人気となりました。
実際に誌面に登場するモデルたちの多くがキャバクラ嬢やホステスだったこともあり、そういった職業の女性のバイブル的存在となったのです。
編集長である中條寿子はコギャルブームの隆盛期に渋谷の女子高へ通っており、渋谷センター街で遊ぶギャルでした。
その後、キャバクラでのアルバイト経験があったことから、キャバクラ嬢やホステスとの繋がりがあったのです。
創刊当初の発行部数は22万部でしたが、2008年頃には35万部まで上昇しました。
これによって版元であるインフォレストの売上高は、59億4500万円を計上したのです。
この『小悪魔ageha』のヒットにより姉妹誌である『I LOVE mama〔アイラブママ〕』の前身にあたる『mama nuts × ageha』、『姉ageha』の前身にあたる『お姉さんageha』、『着物ageha』などが誕生しました。
しかし、2011年の11月に編集長である中條寿子が退任することになったのです。
中條寿子の退任によって『小悪魔ageha』の誌面構成は大きく変化し、タイアップ記事や付録が増加しました。
しかし、この変化は読者に受け入れられず、2014年3月号は13万部発行で実売5万部という数字まで落ち込んでしまったのです。
そして、2014年4月15日の出版元の事業停止により休刊となり、2014年5月号が最終号となってしまいました。
しかし、2014年の12月には限定復活でありながら、『小悪魔agehaメモリアルBook』が主婦の友社より発刊されました。
こちらには当時のモデルの多くが登場しており、発売から1週間にして5万部を売り上げたのです。
そして、2015年の4月18日に『Happie nuts』や『小悪魔ageha』にて編集を担当していた小泉麻理香を編集長に据え、隔月刊誌として復刊しました。
小悪魔agehaのモデル
『小悪魔ageha』がこれほどまでに伝説となり得た理由として、モデルの存在があります。
モデルひとりひとりが強烈な個性を持っており、キャバクラ嬢やホステスたちのカリスマ的存在となっています。
中でも1988年9月1日生まれの愛沢えみりは絶大な人気を誇っています。
歌舞伎町のキャバクラ「ジェントルマンズクラブ」に在籍していたころ、『小悪魔ageha』にモデルとして登場しました。
キャバクラ勤務とモデル業を並行して行い、現在はキャバクラ「フォーティーファイブ」に在籍しています。
そのほかにファッションブランドのプロデュース、テレビやラジオへの出演などをこなす、マルチな才能の持ち主です。
中でもキャバクラ系のドレスのブランドである「Emiria Wiz」は、月商1億5000万円の売上高を計上しました。
復刊後の『小悪魔ageha』にも登場しており、以前と変わらない人気を誇っています。
家村マリエは2008年頃から『小悪魔ageha』に登場し、タレントとしてバラエティ番組に出演していました。
2009年には渋谷ガールズコレクションに登場し、その後も数多くのファッションショーにも登場しています。
その後は自信がプロデュースするカフェ「House Village」をオープンし、実業家としての面も持っています。
また、『中性脂肪を減らす、おからのおかず』、『満腹なのにみるみるやせる!おからダイエットレシピ』などのダイエット本の出版も行っています。
“さくりな”のニックネームで知られる桜井莉菜は、1999年から読者モデルとしてデビューを飾りました。
2006年から『小悪魔ageha』に登場し、その後8回にわたって表紙を務めるほどの人気モデルとなったのです。
バラエティ番組にも登場するほどの人気となり、2009年には主演映画が制作されました。
2008年から音楽活動も行っており、2010年9月には「Gray Zone」でメジャーデビューを果たし、シングルチャートのトップテン入りを果たすスマッシュヒットとなったのです。
百合華は京都のキャバクラで人気となり、『小悪魔ageha』を始めとするファッション雑誌にモデルとして登場しました。
2010年にはバラエティ番組にも登場し、CDデビューも果たします。
2011年になると「ラブリー」という、ヘッドドレスや美容アイテムを扱うセレクトショップをオープンしました。
そのほかにファッションイベントなどにも多数出演しています。
小悪魔agehaの伝説
『小悪魔ageha』は2005年10月の誕生以来、数々の伝説を残しました。
特にファッション雑誌でありながら、女性たちの闇の部分にスポットを当てたことは画期的だったのです。
具体的には非行、家出、ひきこもり、いじめ、裏切りなどで、これまで明るくて健康的なイメージしかなかったファッション雑誌の世界において、一際異彩を放っていました。
中には幼少期の虐待経験、家庭内暴力、アルコール中毒などにも迫ることもあり、そのディープでシリアスな内容は大きな衝撃を与えたのです。
また、『小悪魔ageha』の主なターゲットはキャバクラ嬢です。
キャバクラ嬢と言えば盛ったヘアスタイルが欠かせません。
そのため、毎号でさまざまなヘアスタイルが紹介されていましたが、そのヘアスタイルがあまりにエキセントリックだったのです。
そのあまりに奇抜なヘアスタイルはメガ盛りと呼ばれており、インターネットを通じて大きな話題となりました。
これがきっかけとなって、普段『小悪魔ageha』を手に取らないような層にも知られることとなったのです。
東京タワーを再現したヘアスタイル、いくつもの携帯電話をあしらったヘアスタイルなどは伝説となっており、今でもインターネット上で注目されています。
そのほかにアニメキャラやゲームキャラのコスプレも特集しており大きな話題となりました。
今でこそコスプレは一般的なものとなりましたが、当時はそれほど一般的ではありません。
さらに、キャバクラ嬢やホステスをターゲットにした誌面において、コスプレを特集したことは大きな冒険だったのです。
しかし、この時代を先取りした特集は人気コンテンツとなりました。
『小悪魔ageha』は時代を先取りしていたと言えるでしょう。
さらに、極めつけはタレントの飯島愛が亡くなった際に掲載された写真でしょう。
見開きのページに「大好きです。飯島愛さんゆっくりお休みになってください。」というキャッチと共に、両手を合わせた数多くのモデルが掲載されたのです。
これはインターネットを通じて普段『小悪魔ageha』を読まない層にも知れ渡り、大きなインパクトを与えました。
『小悪魔ageha』と聞くとこの写真を思い出す方も多いことでしょう。
そのほかに桃華絵里などの伝説的なモデルも誌面に登場しました。
モデル活動はもちろんのこと、自信がプロデュースを行う「Momoeri shop」を全国各地にオープンし、20代の女性を中心に大人気となっています。
現在はバラエティタレントとしても活躍しています。